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映画公開記念! ダース・ベイダー VS. シャア 魅力的な“悪”の条件
「遠い昔、はるか彼方の銀河系で」というほどには遠くない、20世紀の1977年と1979年。この時期にアメリカと日本で、それぞれに人を惹きつけ、後世に大きな影響を与える悪役が相次いで誕生しました。

 奇しくも、二人とも「仮面の男」。そして2つの名を持ち、生来より後に名乗った名で知られ、恐れられたというところでも共通しています。

 そう、1977年の映画「スター・ウォーズ」に登場したダース・ベイダーと、1979年に放映された「機動戦士ガンダム」のシャア・アズナブル。魅力的な、あまりにも魅力的な2人の悪役(ヴィラン)です。

 「魅力的な敵をつくることができたら勝ち」という、物語づくりの格言があります。考えても見てください。もしエピソード4「新たなる希望」のメイン敵が、ただ単に立派なストームトルーパーだったら。あるいは「一年戦争」の敵方指揮官がチベ艦隊のコンスコンだったら。物語はきっと、そこまで盛り上がらなかったことでしょう。

 「スター・ウォーズ」と「機動戦士ガンダム」は、それぞれのタイトルってもって「~世代」という呼び方が成立するほど画期的な作品となりましたが、これらの成功にダース・ベイダーとシャアという、2人の「敵」のキャラ設定が大きく寄与していたのは間違いないと思います。

 これが歴史というものの面白さかもしれませんが、今年2015年は偶然にも、ダース・ベイダーを崇拝するキャラクターが現れる「SW」の新シリーズと(初日に観ましたが、面白かった! キャラを凄く丁寧に描写していたのが印象的)、シャア誕生の歴史が明かされる「青い瞳のキャスバル」の映像作品が、ともに始まった年でした。

 この機会に2人の「敵」の軌跡をあらためて振り返り、「魅力的な悪の条件」を考えてみたいと思います。【堀田純司】

●素顔を見せない2人

 ダース・ベイダーは恐怖で銀河を支配した銀河皇帝の右腕的存在。ご存じ黒いマスクとボディスーツに身を包み、胸に生命維持機構のパネルをきらめかせているという、奇怪な姿の怪人です。過去に負った熱傷のために自発呼吸もままならず「コーホー」という人工呼吸音を常に響かせていました。フォースの暗黒面の力を得て、個人としても絶大な武力を持ち、パイロットとしても優秀。ただ、初期には一介の軍人として、帝国の高等官には下に見られている描写がありましたが、エピソードが進むにつれ権力を掌握し、冷酷な司令官として帝国の武力と恐怖を象徴する人物となります。

 シャア・アズナブルは、独立戦争を起こしたジオン公国の軍人でした。しかし、広く知られているように、その正体は宇宙植民者たちの思想的リーダーだったジオン・ズム・ダイクンの遺児。父がザビ家によって暗殺されたと信じる彼は、過去を隠し仮面で顔を覆い、公国軍に潜入していたのでした。士官学校を優秀な成績で卒業した彼は、戦場でも華々しい戦果をあげ、若干20歳にして少佐に昇進。公国軍のエースパイロット「赤い彗星」として畏怖される存在となる。軍もそうした彼に専用機を与え、その赤い機体は通常の3倍もの機動性能を発揮したといいます。

 ダース・ベイダーの場合は、1999年から公開された新3部作によって、サーガ全体が、あふれるほどの才能を持って生まれ、すべてを手に入れるはずだった彼の、転落と帰還の物語であったことが明らかになりました。

 一方のシャア・アズナブルも、続編「機動戦士Zガンダム」(1987)にさらに名前を変えて登場し、映画「逆襲のシャア」(1989)ではついに総帥として地球圏に対して反乱を起こす。

 初作、続編などガンダムの各エピソードの主人公たちは、それぞれに仲間を守るため、戦争を終結させるために戦いましたが、宇宙に暮らす人のために連邦という巨大な体制に挑み続けたのは、実は彼だけでした(シャアは「機動戦士ガンダム」の主人公アムロ・レイのことを、体制維持の道具になっていると批判したことがあります。逆に「機動戦士Zガンダム」の主人公カミーユ・ビダンは、シャアのことを「ひとりで組織に対抗しようとして敗れた馬鹿な人です」と評していました)。

●「あまりに人間的な」共通点

 そしてもうひとつ、彼らには大きな共通点がありました。それは人間的な側面。銀河の秩序の護持者、ジェダイの中でも最強に至る力を秘めた若者として輝かしい未来を見ていたアナキン・スカイウォーカーが、フォースの暗黒面に飲まれ、シスの暗黒卿、ダース・ベイダーへと転落したのは禁断の恋のためでした。

 中世の騎士団を思わせる禁欲的なジェダイの間では「執着を生む」として、現代の某アイドル集団なみに恋愛は禁止。しかし、ナブーの王女パドメ・アミダラを慕う彼は、ほぼ抑制ゼロでした。それどころかアナキンは「無償の愛はジェダイの基本精神。つまり恋愛は奨励されているんだ」と独自理論を展開していたものです。

 ま、年上のパドメのほうも、政争のまっただ中で彼を湖へと連れていき、背中が丸出しの衣装で現れたりしていたので、アナキンが年上美女の魅力に抗えなかったのも「若さゆえの過ち」と言えるかもしれませんが、この秘密の恋が結局は彼の命取りとなり、運命は文字通り暗転します。

 そしてシャアですが、彼も私的な問題を、いわば、こじらせています。一年戦争の当時、彼は、宇宙環境に適応した人類「ニュータイプ」として高い素質を持つ少女、ララァ・スンを見い出す。それは彼女を戦場に送ることにもなったのですが、ララァは自らの意志で「大佐(昇進していた)を守っていきたい」と感じていました。シャアもその思いに応え、出撃を待つ軍艦の中で、ふたりはキスを交わしています。

 後に続編「機動戦士Zガンダム」のグリプス戦役の時代になると軍事勢力も国軍よりも非国家組織が主導権を握るようになり「好きな異性に会いたい」と思えば私的にモビルスーツを運用して飛んでいくこともわりあい普通になりましたが、この時代はまだそこまでオープンではない。シャアとララァの関係は、部下たちも気を使ったことでしょう。

 しかしシャアは結局、戦場でララァを失い、後に「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」という、有名なセリフを吐くことになります。聞かされたアムロもよほど驚いたらしく「お母さん? ララァが…!? うわっ!」と正直に反応していました。

 両者とも、人間的な、あまりにも人間的な面があった。これが彼らをして「ラスボス」にはさせなかった重大な特質です。

●「ごく普通の青年」だった

 銀河皇帝パルパティーンであれば、自身の目的のためなら、恋愛感情などという私的な欲望は一顧だにしなかったことでしょう。事実ギレン・ザビは、父親でさえもおのれの障害となるのであれば、ゲルドルバ照準で焼き殺しています。

 アナキン・スカイウォーカーも、シャア・アズナブルことキャスバル・レム・ダイクンも、あらゆる才能を持っていた。個人的な武芸にも達し、人格も優れている。血統的にも、本人自身としても、カリスマ性まで備えていました。しかしただひとつだけ、ないものがあった。それは巨大な野望。

 「君のために世界を失っても、世界のために君を捨てることはしない」というのはジョージ・ゴードン・バイロンの詩ですが、アナキンは世界よりも恋人パドメを幸福にすることができたら、それでよかった節があります。しかし皮肉にも彼は逆に、パドメを失って、銀河帝国のNo.2となる。息子ルークに対して「2人で銀河を支配しよう」と誘いましたが、それが本気であったかどうか。彼は部下には冷酷でしたが、その権力に驕る描写は見られませんでした。

 シャアに至っては、自身が戦争の英雄として偶像視されることを常に「道化だ」と自嘲していました。

 彼らはパルパティーンやギレンのような、ボスキャラに要求される巨大な野望だけは持っていないという点において、ごく普通の青年だったのです。彼らの弱さを見る時、このことを念頭に置く必要があると思います。

 実は誰も、そうした生身の彼らを見ようとはしなかった。才能にあふれた彼らにもごく普通の若者の欲望と悩みがあることを、気がつくことさえありませんでした。

 アナキンは崩れたフォースのバランスを修正する「選ばれし子」としてジェダイの修行を受けることになる。ヨーダをはじめジェダイの指導者たちは、アナキンの「運命」ばかりに目を向け、あまりにも生身の彼の感情を理解しようとはしなかった。アナキンはエピソード2「クローンの攻撃」で、よき友、よき兄、よき師であるオビ=ワン・ケノービでさえ、「本当の自分を理解しようとしない」と叫んでいます(もともとヨーダたちジェダイ・マスターには、超潔癖集団にありがちな「自分たちはそうした。そうできない人たちのことが理解しづらい」という傾向が見受けられます)。

 シャアもまた前半生では、彼個人としての欲望に生きるよりも「ザビ家への復讐」を優先して叩きこまれ、短い後半生では「民衆のカリスマ」であることを求められます。

 しかしララァは、生身の男としての彼を受け入れ、その弱さをしてむしろ愛しいと感じてくれた。あの仮面の男が素直に「私はララァの指示に従おう」と言ったのはこの時期だけです。

 誰ひとり生身の彼を見ようとはしなかった。彼に生身があることさえ、気がつかれもしなかった。そんな人生においてララァとの邂逅は甘美な記憶であり、歳を重ねるにつれ「あのような出会いはもはや生涯で二度とない」という思いが募ったことでしょう。「逆襲のシャア」における彼の「母」という発言は「ありのままの彼を受け止めてくれる唯一の存在」という意味だったのだと思います。

 もっともその割にはララァに対して「しかし私は、お前の才能を愛しているだけだ」と冷たいことも言っていましたが、あれはララァへの、一種の甘えであったような気がします。甘えというと、反乱時の副官ナナイ・ミゲルの膝に甘えたりしていましたが、あちらはどうも代償を払って得る「プレイ」の匂いがしました。

●誰もが仮面をかぶる時代に

 「やるべきこと」「やりたいこと」そして「やれること」。この3つの極で引き裂かれる苦悩。それが彼らをして共感される悪たらしめた要素でしたが、後の娯楽作品は彼らの苦悩を見習い、むしろ主人公側にアンチヒーローを持ってきたり、「主人公がとにかく悩んで、なかなか戦わない」といった作品が生まれてくるようになりました。ダース・ベイダーとシャア・アズナブルは、その偉大な先駆者だったと思います。

 現代では人間関係もある意味で洗練され「キャラ」を演じることで、直接ぶつかることがないようにする技術も、ふつうに使われるようになってきました。それにSNSが普及し、サムネイルと簡単な自己紹介文で自己を演出していく営みを、誰もが行うようになってきてもいます。この世界では常に自己演出がつきまとう。「自然体な俺」をアピールすることもまた、それが演出という枝にからみとられる世界です。

 つまり誰もが仮面をかぶる時代。それゆえにこれからもまた、新たなる仮面の悪役たちが現れてくることでしょう。

 これからもあなたがフォースと共にあらんことを。全人類が早く叡智を授かりますように。

堀田純司 作家。1969年大阪生まれ。主な著書「僕とツンデレとハイデガー」(講談社)、「メジャーを生みだす マーケティングを越えるクリエーター」(KADOKAWA)などがある。「ガンダムUC証言集」(KADOKAWA)では編著も手がけた。「ガンダム」ではアルテイシア様、ディアナ様、ハマーン様など「様派女性キャラ」のファン。「スター・ウォーズ」ではエピソード5のハン・ソロとレイア姫の「相互二重ツンデレラブコメ」描写が好きだ。
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